やるか、やらないか
これは自慢だが私はフルマラソンを3回完走したことがある。
私がフルマラソンに挑戦したのは30代の半ばに差し掛かろうとしている時期だった。当時は仕事を辞めて技師になるための専門学校に通っていたのだが、そこの先生から「一緒に菜の花マラソンを走ってみないか」と誘われたので二つ返事で走ることにした。それまでは漠然と一生に一度はくらいはフルマラソンというものを走ってみたいなあとは思っていたので先生の誘いはちょうどいいきっかけとなった。
練習方法についてはAmazonのレビューが高かった金哲彦さんの「ランニング・メソッド」を参考にして取り組んだ。この本はマラソンの入門者としては最適の本で結果的にこの本の内容は長距離を走り切るための正しいフォームを身に付けるという意味では本当に役に立った。
簡単に言ってしまうと私か取り組んだマラソンの練習とは5キロか10キロくらいの距離を毎日ただひたする地道に走るだけだ。最初は軽いウォーキングから始めて半年ぐらい練習を続けた結果、初めてのフルマラソンを無事に4時間54分51秒で完走することができた。
ゴールした後のあの身体の奥底から湧き上がってくるような、震えるような達成感は41.195キロを走り切った人しか味わうことのできない特別なものだ。大人になってからはあまり経験することがなくなってしまったシンプルにコツコツと努力することの素晴らしさを再確認することができる。
残念ながら心臓の病気をしてからは私はもうフルマラソンを走れない身体になってしまったのだが、そんな何物にも変え難い達成感を走れなくなる前に経験できたことは私の人生において大きなプラスになっている。
だから、私は周りの人たちに一生に一度くらいはフルマラソンに挑戦すべきだとお勧めしている。そして「マラソンなんてできない」と言う人にはこう切り返すことにしている。
マラソンはできるか、できないかじゃない。やるか、やらないかだ、と。
最後の晩餐
「最後の晩餐だ、と言われたら何を食べたいですか?」
公民館での健診を終えて会社までの帰り道の車の中、同乗していた検査介助のAさんからこんな質問をされた。
「う〜ん、何ですかねえ。自分は鳥刺しが好きなので鳥刺しですかね」
そう私が答えると同じく一緒に車に乗っていたもう1人の検査介助のBさんが「私はラーメンが好きだからラーメンですかね」と答えた。
「ちなみにAさんは何が食べたいのですか?」
と私がきくとAさんは「う〜ん」と言いながらしばらく考えてからこう答えた。
「食べたいものはいろいろあるんですけどやっぱり最後に食べたいのは温かいご飯とお味噌汁ですかね」
満点の素晴らしい答えで「鳥刺し」と言ってしまった自分が恥ずかしくなってしまった。今度同じことを聞かれた時には私も温かいご飯とお味噌汁と答えることにしよう。
熱狂したい
「阪神を愛することは正義を愛するということ。国民の義務なんです」
ニュースを見ていたら先日亡くなられた上岡龍太郎さんがこんな言葉をおっしゃっている映像が流れていた。関西人ということもありきっと熱狂的な阪神ファンだったのだろう。
私の友人にも熱狂的な浦和レッズファンがいる。大学の時に誘われて一緒に埼玉スタジアムでJリーグの試合を観戦したことがあるが、普段は温厚な彼が試合が始まると大きな声で選手の名前を連呼するのを見て驚いたことを覚えている。
彼とはその後も大学を卒業して社会人になってからも味の素スタジアム、等々力陸上競技場、日産スタジアムでも、遠征して静岡のエコパスタジアム、名古屋の豊田スタジアム、茨城の鹿島スタジアムでも誘われるたびに一緒にレッズの試合を観戦した。いつも帰り道の彼はレッズが勝てば機嫌が良かったし負ければ機嫌が悪かった。
彼に誘われて試合を観戦しているうちに自然と私もレッズの選手について詳しくなってきた。私が休みの日はレッズの試合ばかり行っているので、おそらく当時の職場の人たちは私が熱狂的なレッズファンだと思っていたことだろう。
正直に心情を吐露すると私はレッズの熱狂的なファンだったわけではない。もちろん、レッズが勝てば嬉しかった。だが、負けても悲しいとか悔しいという気持ちにはならなかった。いや、なれなかったと言った方が正しいのだろうか。
つまり、レッズが勝っても負けても決して涙を流して嬉しがったり、悔しがったりするような気持ちにはなれなかったのである。
その後、私が東京を引き払って実家の鹿児島へ帰ることになったため、レッズの試合を観戦することはなくなった。
私は特定のプロスポーツのチームを熱狂的に応援できる人が羨ましい。寝食を忘れるほどに何か特定のものに熱狂できるというのは生まれつきの才能なのだろうか。
戦争のニュースなんか見たくないのだ
2022年2月24日のロシアのウクライナ侵攻以来、新聞を読んだり、ニュースを見たりするのがすっかり嫌になってしまった。
ロシアの容赦のない攻撃を受けているウクライナの様子を読んだり見たりするのが怖かったからである。
ロシアが勝手な理由をでっち上げて無抵抗な人たちを攻撃している様子を直視することができなかったからである。
「ウクライナの人たちは、世界はこれからどうなって行くのだろう……」と暗澹たる気持ちになってしばらくは新聞もニュースも見たくなかった。
あれから1年以上が過ぎた今もまだロシアとウクライナの戦いは続いている。ロシアは一向にウクライナへの侵攻を諦める様子がない。
「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」ということわざがある。戦争が何も生み出さないことは歴史が証明している。
なぜ一国の大統領である私なんかよりずっとずっーと頭の良い人がこんなことがわからないのだろう。私にはこれが不思議でたまらない。
誰も戦争のニュースなんか見たくないのだ。
そうだ。ミスチルだって歌っている。
違う 僕らが見ていたいのは希望に満ちた光だ
がっかりしたくないのです
私は外でコーヒーを飲んだり、ご飯を食べに行く時には基本的に同じ店にしか行かない。
コーヒーを飲みたくなったらこのお店、ラーメンを食べたくなったらこのお店、カレーを食べたくなったらこのお店といった感じで行ったことがある決まったお店にしか行かない。
大体、1つの食べ物につき2つから多くても4つぐらいのお店の中から行くことにしている。新しいお店にはよっぽどのことがない限り行くことはない。
私がこういう性格だということがわかっているので結婚してからは奥さんもあまり文句は言わなくなったが(今でもたまには文句を言われることはあるのだが)、まだお付き合いしている彼女の時はこの性格についてブーブーと文句を言われた。
すべての女性がそうなのかはわからないが、基本的に私の奥さんは新しいお店に行きたがる。
地元の情報誌に掲載されているNEWオープンのお店の情報はまめにチェックをしているし、一緒に車に乗っていても「あっ、あそこに新しいお店ができてる。今度行ってみよう」などと街に新しいお店ができていないかを常にチェックしている。
私が新しいお店に行かないのはなぜか、それは「がっかりしたくない」のである。今まで行ったことのない新しいお店に行ってがっかりするよりは、何回も行ったことがあるお店に行って何回も味わったことのある安定の味を再び味わいたいのである。
ちなみにカレーが食べたくなった時にはここへ行く。鹿児島トラックターミナル食堂の「からあげカレー」だ。
これまでに何回も食べているがこのカレーを食べてがっかりしたことはまだただの一度もない。
ぼたもち食べたい
小さい頃は父親やばあちゃんが「おいしい、おいしい」と言いながら食べているを見ながら「どうしてあんなものがおいしいのだろう」と不思議に思っていた。
まるで柔らかいご飯と甘いあんこを一緒に食べているような食感が苦手で父親やばあちゃんから頼まれて買って来ることはあっても決して自分が食べることはなかった。
やがて父親もばあちゃんも死んでしまい、お家にぼたもちが置いてあることも私が買って来ることもなくなってしまった。
それから長い年月が経ったある日、ふと、かつて父親やばあちゃんがおいしそうに食べていたぼたもちを食べたいと思った。そして、買って来て家で食べてみた。
めちゃめちゃおいしかった……
以来、無性に食べたくなる時があり、買って来て家族の前で「おいしい、おいしい」と言いながら食べている。
私は鹿児島が世界に誇る名店「かるかん元祖 明石屋」のぼたもちが大好きである。他のいろいろなお店と食べ比べてみたわけではないが個人的には明石家のぼたもちがあれば他のお店にぼたもちがなくても構わないぐらい好きである。
明石家のぼたもちはあんこに何とも表現しようのない品のある味がする。3個入り1パックで、一口で食べられるサイズもちょうどいい。
また今日も買って来てしまった。いただきます。