「老眼」になってみてわかったこと

自分が40歳を過ぎて「老眼」になってからわかったことがある。それは普段の生活の中で自分があまり遠くを見ることがないということだ。


私たちが「視力」と言う時は5メートル先の場所を見る「遠方視力」のことを指している場合が多い。健康診断の検査項目にもある視力検査もこの「遠方視力」を測る検査である。


したがって、私たちが「目が悪くなった」と言う時は正確に言うと「5メートル先の物が見えにくくなった」ということを表している。


しかし、自分自身が「老眼」になってから分かったことだが、日常生活において自分が5メートル先の物を見ることはあまりない。


私に関しては3メートル以内ぐらいの範囲がしっかりと見えさえすれば日常生活においては特に不便を感じることはない。


せっかく作った遠近両用のメガネは近くが見えにくくて不便だったのでレンズを「中近両用」に変えた。

こうして仕事と自宅でかけるメガネは2つとも中近両用のメガネに変えたのだが、今のところ特に不便を感じることもなく、すこぶる快適である。


JINSから何かをももらっているわけではないのだが、私が使っているJINSの「中近両用」のメガネは私のような40歳過ぎの老眼おじさんにはとても便利なメガネである。


遠近両用レンズ | JINS - 眼鏡(メガネ・めがね)

自分を褒めてあげる


忘れられない言葉がある。


予備校時代、大学入試を間近に控えた最後の講義で英語の講師だった富田一彦先生が私たち生徒に向かって言われた言葉だ。


今から私は受験が終わった時の話をします。いいですか、受験が終わった時にがんばった自分をとにかく思いっ切り褒めてあげてください。


富田先生は続けて。


よくプロ野球の選手がヒーローインタビューで「みなさんの声援のお陰で打つことができました。ご声援、ありがとうございました」などと言うが、あんなのは嘘だ。


選手がチャンスで打てたのは選手が地道に練習に励んだ結果であってファンが声援を送ったからではない。


君たちも一緒で大学に受かったのは家族や友だちが応援してくれたからではなく、自分自身が地道に精一杯勉強をがんばったからである。だから、安易に自分の成果をそういう言葉に逃すことなく、がんばった自分を目一杯褒めてあげなさい。


「大学受験」というものにもし意味があるとしたら、1人の人間が自分の力だけで1つのことを精一杯成し遂げた。それくらいしかない。


富田先生はこのように言われた。


あれからもう30年近くの時間が過ぎてしまったが、今でも富田先生の言葉は私の胸に深く刻まれている。

胃袋をつかまれる


これは完全に自慢だが、私の奥さんは料理が上手である。



一品一品をレシピを見ながら作るタイプではなくて、冷蔵庫の中にあるものだけで作るタイプの料理上手である。


毎日、仕事から帰ってくると最低3品、多い時は5品ぐらいをちゃっちゃと作って私たちに食べさせてくれる。


胃袋をつかまれる」という言葉があるが、結婚してからはこの言葉通りにまさに私の胃袋は奥さんにつかまれてしまっていて、仕事を終えたあと、帰宅して奥さんの作ってくれる料理を食べることが日々のささやかな楽しみの一つとなっている。


最近は私の会社でも結婚している人たちの中には夫の方が食事の準備をする家庭もあるようだが、私は料理が全くできないので、料理が上手な女性と結婚して本当に良かったと思っている。


これも私の独断と偏見に満ちた考えなのだが、おにぎりを握るのが上手な女性は料理も上手なような気がする。ちなみに私の奥さんはおにぎりを握るのも上手である。

料理はプラモデルと同じ?


友人と話をしていた時のことだ。「料理が苦手だ」と私が言うと「そんなことを言う人の気持ちがわからない」と彼は言った。


その理由を訊くと料理はプラモデルと一緒で材料(部品)をレシピ(説明書)通りに作れば誰でもそこそこの物は作ることができるというのだ。だから、私のように「料理が苦手だ」と言う人の気持ちがわからない。彼はそのように説明した。


確かに彼の言い分には一理ある。ある料理、例えば卵焼きを作るとしたら、スーパーで卵を買って来てレシピ通りの手順で作れば合格点の卵焼きを作ることができるだろう。


しかし、私が考える「料理が得意な人」というのは冷蔵庫の中にある材料だけで炒め物だったり、煮物だったり、汁物だったりを手際良く作ることができる人のことなのである。


その場にある食材だけで一食分の食事をちゃちゃっと作ってしまう、私はそういう人が本当の意味で料理が上手(得意)な人なのだと思う。

人の好きなものにケチをつけないでください

私はこむらさきのラーメンが大好きである。


父親が好きだったので家族で天文館へ買い物に行った時や映画を観に行った時にはたいていこむらさきでラーメンを食べてからお家に帰っていた。私にとってこむらさきのラーメンは思い出の味でもある。


父親が亡くなった今でもたまに食べたくなって1人で食べに行く。母親と天文館へ買い物に行った時も帰りに食べて帰ってくることがある。


のだが……


私がこむらさきのラーメンが好きだというとたいてい周りの人からこう言われる。


こむらさきかあ。あれはラーメンじゃなくてそうめんだよ


そう言われた私はまるでこむらさきのラーメンが好きであることがいけないことのような錯覚に陥る。だから最近は好きなラーメン屋を聞かれると「いや、あれはラーメンじゃない、とおっしゃる方もいらっしゃるんですけど。私はこむらさきが好きです」と答えるようにしている。こちらから先に予防線を張っておくのだ。


私は不思議でたまらない。なぜ、好きなラーメン屋を質問しておいて私がこむらさきと答えると「あれはラーメンじゃない」とケチをつけるのだろう。人が好きだと言っているものをなぜけなすのだろう。「ああ、そうなんですね」でいいではないか。


こむらさきは「ラーメン専門店」である。


だから、こむらさきで出てくるのは絶対にラーメンなのだ。決してそうめんなどではない。


何と言われようとも私はこむらさきのラーメンが大好きである。


https://www.kagoshimakomurasaki.com

なぜ前屈みになるのか?

胃部X線検査で検査中に撮影台の上で「前屈みになってください」と言われた経験がある方はいらっしゃるだろうか?


実は私も検査中に受診者に対して「自分のおへそを見るような感じで前屈みになってください」とよく声を掛けることがある。


ではなぜ、検査中にこのような声掛けをするのかをご存知の方はいるだろうか?


それは胃の描出範囲を広げるためである。


実は私たちが「前屈みになってください」と検査中にお願いするのは胃の形が横胃の受診者に対してである。


横胃の人はたいてい穹窿部が背中の方に倒れていることが多いため、背臥位で撮影しても描出することができないことがある。そのため、身体を起こして(穹窿部を起こして)もらって描出範囲を広げるのだ。


ある医師から私が住んでいる九州は横胃の方が多いと聞いたことがある。関東の方では鉤状胃の方が多いのだとか。私は関東で胃の検査をしたことがないので真偽の程は確かめようがないが、どうやらそういう傾向があるらしい。


検査をしているとわかるが胃の形は人によって本当にさまざまである。そして横胃などの胃の形が鉤状胃以外の人は撮影中にブラインドが多くなってしまうため、撮影の難易度も当然高くなる。


以前にもお伝えしたように私たち技師は受診者の方の協力なしには良い検査をすることができない。受診者のみなさん、技師から体位変換をお願いされた時は快くご協力ください。

ヴィルヘルム・コンラッド・レントゲン


あまり知られていないことだが、人体に放射線を照射することは医師と歯科医師診療放射線技師だけに認められた業務である。


私が学んだ診療放射線技師の専門学校では、当時学科長だった先生の最初の授業でこれから診療放射線技師を志す者が絶対に覚えておかなければならない人物としてヴィルヘルム・コンラッド・レントゲンの名前を挙げられた。


その先生がおっしゃるにはレントゲンが「X線」を発見したからこそ、私たち診療放射線技師の今があるのだという。したがって、これから診療放射線技師を志す者もレントゲンに対する感謝の気持ちを忘れてはならないと熱く語られた。


レントゲンは放電管を用いて陰極線の研究をしている時に偶然にも未知の電磁波を発見した。そして、未知の物だからこそ仮に「X」と付けて「X線」と名付けた。


また、レントゲンが偉大だったのは自分が発見したX線に関して特許を取って個人的な利益を全く得ようとしなかったことである。このため、X線はただちにX線写真として医学に応用され、医学の発展に多大なる貢献をした。この功績が認められ、第1回ノーベル物理学賞はレントゲンが受賞している。


毎年2月10日がレントゲンの命日である。前述の先生はこの日だけは絶対に忘れるなと念を押して最初の授業を終えられた。